企業と文化活動について語り合う

好奇心を刺激するグラフィックアートを通してこれからの企業活動を考える

山口周氏(左)と北沢永志氏(右)

東京・銀座にある「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」(ggg)は、世界でも珍しいグラフィックデザイン専門ギャラリーだ(運営:公益財団法人 DNP文化振興財団)。知の収集・編集・共有を行うこの場所に、「ナレッジ・キュレーター」として幅広く活躍されている山口周氏を招いて、30年以上gggのキュレーターを務めるDNP文化振興財団の北沢永志との対談を実施した。公益社団法人 企業メセナ協議会の「メセナアワード」審査委員でもある山口周氏との対話は、グラフィックアートから人々の美意識や企業の文化活動へと広がっていった。

プロフィール

山口 周(やまぐち しゅう)氏 (写真 左)
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。1970年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』『ニュータイプの時代』(以上、ダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『自由になるための技術 リベラルアーツ』(講談社)など著書多数。

公益財団法人DNP文化振興財団 北沢 永志(きたざわ えいし) (写真 右)
1980年4月、大日本印刷株式会社(DNP)入社。CDC(クリエイティブ・デザイン・センター)事業部で企業のカタログ・カレンダー・PR誌等の企画・制作を担当。1990年からgggのキュレーションを担当。2008年より財団法人DNP文化振興財団の活動も行い、これまで国内外の作家や団体の展覧会を300回以上手掛けてきた。

「グラフィックアートは異国情緒をまとう」

北沢:このgggの発案者で、初代監修者を務めていただいたグラフィックデザイナーの田中一光さんは、「gggは企業と市民を結びつける風穴みたいなもの」と発言されています。「風がどんどん入ってくる窓」という位置づけです。ギャラリーとしては小規模ですが、山口さんの、このスペースについての印象はいかがでしょうか。

山口:英語で表現すると、インティメート(intimate:親密な)や、よそよそしくない、親しみやすいという言葉が相応しいと思います。作者の精神に、手を伸ばせば触れられる。これは、他にない空間です。

北沢:私たちは、主に印刷技術を活かして表現される視覚芸術の総称として「グラフィックデザイン」という言葉を使っており、それに基づいて作者自身が表現していく「グラフィックアート」があります。山口さんは、多くの生活者にとって「グラフィックアート」はどのような存在だと思われますか。

山口:ファインアート*1には、よそよそしいというイメージがあるのに対して、グラフィックアートはクスっとさせたり、肩の力を抜かせたりする一方で、問題意識をシャープに伝えるものもあり、表現のグラデーションが広いイメージですね。また、ファインアートは作家個人の性質が出やすいのに対し、グラフィックアートは時代や地域の匂いをまといやすく、ある種の民族性が出やすいと思います。北欧系のグラフィックアーティストの作品を見ると、やはり北欧の人の作品だなと思いますし、フランスのレイモン・サヴィニャックの作品は、パリのエスプリを感じさせる。グラフィックアートは異国情緒があり、エキゾチックなものが多いですね。そこに好奇心を刺激されたり、憧れを感じたりします。日常生活に近いから、時代や地域の匂いをまとうのだと思います。そのエリアの美意識のようなものを。生活に根ざしたものがテーマになるから、そこに魅力を感じるのですね。

  • *1ファインアート : 大衆的な芸術や応用・発展による美術と区別して、純粋芸術を意味する。

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(写真左)、第299回企画展「レイモン・サヴィニャック展 ─ 41歳、『牛乳石鹸モンサヴォン』のポスターで生まれた巨匠」(2011年)(写真右)

北沢:山口さんのグラフィックアートとの出会いはいつでしたか?

山口:グラフィックアートには若い時から興味を抱いていて、学生時代には小遣いを貯めて数万円もする図録を購入しては眺めていました。

北沢:DNPはデジタルの本も制作し、販売もしていますが、図録などを見るのには紙の本が好きですね。ページをめくるたびにワクワクします。

山口:大事にしたい本ほど、厚みがあって場所を占めるという悩みがありますね。小遣いで買いためた数冊の本をずっと大事に持っていましたが、引っ越しのタイミングで泣く泣く手放してしまいました。取り返しのつかないことをしてしまったと後悔しています。

北沢:紙の本のつらいところは場所を占めるところです。

山口:日本では、出版産業の意外な敵が「家の狭さ」だと思います。最近、テレワークが進み、ある新聞の調査では都内で働く約6割の方がテレワークをしているとありました。都市から郊外への移動も起きていると聞きます。都市に居た時よりスペースにゆとりができれば、本棚を増やすこともできる。出版産業にとって千載一遇のチャンスが訪れていると言えます。

宣伝用のグラフィックアートでも秀逸な作品は後世に残る

北沢:山口さんとグラフィックアートの出会いは学生時代だったのですね。以前、広告代理店でお仕事をされていた時もグラフィックアートと関わりがあったと思いますが、その頃のお話しをうかがえますか。

山口:キャンペーンを担当した場合、その期間が終わると、商品は残っても広告は消えて無くなるため、そのことに虚しさを感じていました。それで、「これはやっていられない」と辞めたわけです。
でも、ある自動車の広告に以前使われていた坂本龍一さんの楽曲をピアノで弾いていたら、ふと気がついたことがあります。「その車種の新車販売は無くなったけれど、坂本龍一さんのこの曲は残っている。よく考えてみたら、逆なのかもしれない」と。商品の広告で使われたグラフィックや音楽などは、素晴らしいものであれば残っているのです。歴史というのは、積み重ねによってストックの厚みが増して、「人類の宝」というものが出てくるのだと気づきました。
まだ誰もやっていない表現もあります。世界的なアーティストである石岡瑛子さんは、それらについて、“Never Seen Before(見たことがないもの)”と言われたとのことですね。これからもグラフィックアートの世界では、石岡さんのような新たな天才をモチベートしていく表現が出てくる可能性がありますね 。

第381回企画展「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」(2020年)
第381回企画展 「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」(2020年)

山口氏が「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」を書いたきっかけは

北沢:山口さんの著作はたくさんありますが、いずれも非常に魅力的で、分かりやすいです。何か工夫されていることはありますか?

山口:自分は、「分からなさ」に対する感度が高いと思っています。分かったつもりで本当は分かっていないことが気持ち悪くて、自分が分かるまで考えようとして徹底的に調べ、分かるまで考えているから誰にとっても分かりやすい文章になっているのだと思います。

山口周氏

北沢:まずは違和感を逃さない、ということが大事なのですね。

山口:はい、違和感は大事だと思います。ある時、外資系の新聞を読んでいたら、次のような記事を見つけました。いわゆる伝統的なビジネススクールへのMBA出願数が減少傾向にある一方で、アートスクールや美術系大学によるエクゼクティブトレーニングに、多くのグローバル企業が幹部を送り込み始めている実態を報じていました。「おや、何が起きているのだろう?」と調べ始めて、それが著作につながりました。
「仕事が忙しくって美術館に行っている暇なんかないよ」とうそぶく日本のビジネスパーソンからすれば、グローバル企業の幹部候補生が大挙して美術系大学院でトレーニングを受けているという風景は奇異に思われるかもしれません。でもこういった傾向は、すでに10年以上前から顕在化しつつあったことが分かったのです。

北沢:山口さんは、この「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」という本で、「美意識を鍛える」ことの重要性を説いていますが、ビジネスパーソンはどのように美意識を鍛えたら良いでしょうか。

山口:自分の会社の製品・サービスを差別化して、人に選んでもらうには、素敵なものを作るしかないと思います。それでは、素敵なものはどうやって作るのかと言うと、まず「目利きになってください」と伝えたいと思います。目利きになるには、人の心を引きつけるものを見続けることしかない。だから、過去や現代の作品で評価が高いものを見ることに意味があるのです。

企業の文化活動には長期的なメリットが

北沢:企業は利益を追求するものですが、DNPは企業価値全体の向上にもつながることを目指して、文化振興やギャラリー支援活動にも力を入れています。

市谷の杜 本と活字館の外観

山口:そうした活動は企業価値の向上に大いにつながっていると思います。私が広告代理店に就職するきっかけとなったウィスキーの広告を例に挙げると、ウィスキーの売り上げアップに直接的にはあまり貢献しなかったと聞きますが、この会社へのシンパシーが生まれました。子ども、孫の代まで、その影響が何十年と続く活動になり得ます。

私はDNPという会社に対して、なんとなく素敵だな、「クラスの中にいるノーブルな子」のようだな、という印象を持っています。「あの子には変な冗談を言ったらだめ」とか、そういうイメージです。東京・市谷の「DNPプラザ」や「市谷の杜 本と活字館」、このギャラリーなどの存在がそのイメージに関わっていると思います。
特に現在は、技術面だけでは企業の差別化が難しい時代だと思います。また、直接的に利益につながらない活動は避けられがちなのかもしれません。しかし、「直接的な利益ばかり追求しているから、差別化もできず、成長もできない事態に陥っているのではないか」という問いは大切であり、常に考えてほしいと思います。

市谷の杜 本と活字館の内部

北沢:DNPは、「本業に近いところで息長く」をモットーに、印刷と深い関わりを持つ視覚芸術分野を中心に、芸術文化の普及を促進し、「対話する文化」の醸成に貢献していきたいと思っています。「グラフィックデザイン、グラフィックアートの振興」と「アートとの触れ合いの拡大」をテーマに、DNP文化振興財団と連携した独自の文化活動を通じて、より多くの「感性豊かな人々」が社会に生まれ、育つことを願っています。そのなかでの私の役目は、グラフィックデザイナーの偉大な功績を次世代に見せていく伝道師だと思っています。また、特に若い人には、歴史だけでなく、新しい芸術の方向性にも光を当てて見せていく。その両輪がギャラリーをつくっていく上で重要だと思っています。

北沢永志氏

山口:その通りだと思います。このようなギャラリーを維持できていること自体が素晴らしい。例えば人気企業ランキングで上位に入るといったようなことにそれが効いているのだと思います。DNPさんは地に足がついた、ものすごく安定した文化活動をしていると思います。

山口周氏(左)と北沢永志氏(右)
  • 第299回、第381回企画展 Photograph by Mitsumasa Fujitsuka

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