世界初の8K内視鏡を実用化した千葉敏雄理事長に訊く、オンライン診療の未来と課題
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新型コロナウイルス感染症の影響によりニューノーマルな時代を迎え、人と人の接触削減が求められているなか、医療分野においても、従来は認められていなかった初診時からのオンライン診療・遠隔診療が時限的に容認されることとなりました。 こうした流れを受け、DNPは、オンライン診療時にやり取りする画像の色を適正に補正し、診断精度を向上させる「画像補正サービス」の提供を開始しました。このサービスを含め、現在DNPとともに医療色彩の国際標準化に取り組んでいるのが、一般社団法人メディカル・イノベーション・コンソーシアム(以下、MIC)です。代表を務める千葉敏雄理事長は、8K内視鏡を世界で初めて実用化・製品化した人物としても有名です。 そこで今回はその千葉理事長に、8K内視鏡を開発することになった経緯や、オンライン診療の未来と課題などをお聞きしました。
目次
- ニュース映像を観てひらめいた、放送技術を医療に活かす8K内視鏡
- オンライン診療には“5G+光ファイバー”のハイブリッドネットワークが必要
- 持続可能な医療のためには、医療従事者のアイデアと企業との協創が必要不可欠
<プロフィール>
一般社団法人 メディカル・イノベーション・コンソーシアム 理事長
千葉 敏雄さん
1975年東北大学医学部卒、医学博士。専門分野は小児外科。1986年米国ピッツバーグ大学小児外科講師を経て、1997年米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)胎児治療センター客員助教授(Michael R. Harrison教授)に就任。1998年同センター客員教授、上席研究員となる。2001年には日本に帰国し、国立成育医療研究センター特殊診療部部長に就任する。2005年東京大学情報理工学系研究科教授。また、アメリカで胎児の内視鏡手術を執刀していたことから、2006年NHK技術研究所とともに8K内視鏡の開発に着手。2014年には8K内視鏡の手術への応用にヒトでは世界で初めて成功する。
その後、一般社団法人メディカル・イノベーション・コンソーシアム(略称:MIC)を2012年に設立。理事長に就任する。2015年日本大学総合科学研究所教授。2016年には、8K硬性内視鏡の実用化に向けカイロス株式会社を設立し代表取締役会長に就任。2020年2月には世界で初めて8K内視鏡を実用化・製品化したことなど、これまでの取り組みが評価され、アルベルト・シュバイツァー賞(※)の最高賞(および医学賞)を受賞する。
※アルベルト・シュバイツァー賞
「オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会」により、毎年、人道支援や教育、医療、国際貢献、文化など各分野で顕著な功績をあげた人を讃えて授与される賞のこと。
ニュース映像を観てひらめいた、放送技術を医療に活かす8K内視鏡
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Q:まず、8K内視鏡の開発に携わることになった経緯をお教えください。
千葉:私はもともと小児外科医で、20年ほど小児外科医療に携わっています。実は新生児の病気は「オギャー」と生まれてから発症するものだけではありません。お母さんのお腹の中で発症し、生まれるまでの間にどんどん悪化してしまう病気があります。このような病気は、生まれる前の胎児の段階で治療しなければいけません。
しかし、1990年代当時の日本では、出生前の胎児に外科治療を施すということは行われていませんでした。そこで私は、子どもを助ける技術を身につけるため、1980年代のピッツバーグ大学(小児外科)に引き続き、1997年に再度アメリカへと渡り、カリフォルニア大学サンフランシスコ校胎児治療センターで、出生前の外科治療を学んだのです。
そこでは、子宮を切開する手術によって多くの胎児が命を救われていましたが、妊婦の身体的な負担が大きいため、徐々に負担の少ない内視鏡手術に切り替える動きが進んでいました。しかし、胎児が子宮内の濁った羊水中で動きまわることに加え、子宮内は狭く真っ暗なため、強い光を当てる必要があり、それも胎児に悪い影響を与えていると考えられました。胎児の内視鏡手術は、二重、三重の苦労があるわけです。
その後、新設された国立成育医療研究センターで出生前の胎児外科治療を始めるため、帰国しました。同センターは東京都世田谷区の砧公園近くにあるのですが、その斜め向かいにはNHK放送技術研究所(以下、NHK技研)がありました。実は後日、私はほとんどアポイントも取らずにそのNHK技研に乗り込むことになります。
その理由は、乗り込む前々日の夜に偶然、NHKのニュースで、1995年に発生した函館空港ハイジャック事件の映像を目にしたからです。その映像では、何の照明もない午前3時の現場においても、犯人の顔が鮮明に見えたのです。その超高感度撮影技術に驚き、この高感度カメラを内視鏡に応用できないかと考えて、近くにあったNHK技研に直談判に行ったのです。
そこで、私が持っていたアイデアを当時のNHK技研で所長を務めていた谷岡健吉さん(現:エアウォーター(株) テクニカルアドバイザー)に相談をしたところ、その場で「やりましょう」と即答してくれたのです。そこから谷岡さんやNHK技研の人たちと協力して内視鏡の開発をはじめ、後にNHKが研究していた最新の8K技術を紹介してもらったことから、8K内視鏡の開発がスタートしたのです。
Q:8K内視鏡はどのように進化していったのでしょうか。
千葉:画質は申し分ない8Kカメラですが、問題はその重量でした。初期の2002年には80kgもの重量があった8Kカメラ本体が、私たちが初めて見たときには5kgほどになっていましたが、実用化にはまだ重すぎました。
その後、8K内視鏡カメラの開発が始まり、2009年の動物実験を経て、2014年には杏林大学の外科で教鞭をとる森俊幸教授とともに、世界初となる人への8K内視鏡手術を行うことになりました。85インチの大画面モニターに投影された8K映像は、従来とは比較にならないほど鮮明で、これまで見づらかった細い血管や神経をしっかり見分けることができ、まるで自分がお腹の中に入って手術しているかと錯覚するような臨場感・リアリティがありました。ただ、当時の世界最小の8Kカメラとはいえ、その時点でも重量が2.5kgあったため、手術中にずっと内視鏡を持っている担当医の負担が大きいという課題がありました。そのため、簡単に手で持てる重さにしてほしいという要望を出したところ、そこからなんと半年ほどでカメラ本体は370gまで軽量化され、2017年にはクラス1医療機器として製品化に成功しました。
8K内視鏡手術は開腹手術に比べて患者の身体に優しいだけでなく、広範な術野を高解像度で観察できるので、お腹のなかで内視鏡を患部から少し離れた場所に置き、広い手術空間を確保することができます。手術器具と内視鏡の接触も避けられます。さらに今までの映像では識別が困難だった細かい血管や神経も見えるようになるなどメリットも非常に大きいのですが、まだまだ導入は進んでいません。「今の内視鏡で不自由はない」という医師も多いのですが、一度8K内視鏡による手術画像を見てもらうと「もう(現在の標準である)2Kには戻りたくない」という方も結構いますので、実際に見ていただく機会を増やして、その良さに気づいてほしいと考えています。
Q: 8K内視鏡は今後どのように活用されるとお考えですか。
千葉:将来的には、例えば遠隔医療やオンライン診療です。8K内視鏡の画像をネットワーク経由で送信してリアルタイムに手術ができれば、離れた場所にいる手術経験が長いベテランの医師から手術経験が浅い医師に、きめ細かなアドバイスをすることができます。遠隔医療が可能となるため、遠方から専門医に来てもらう必要もなくなります。
それから、がん細胞などの病理診断や皮膚科などの診断にも活用できると思います。例えば、皮膚の病気は専門外の医師だと判断に迷うことがあります。そこで、離れた場所にいる皮膚科の専門医がリアルタイムで8K画質の患者の皮膚を見て、症状の判断や治療法のアドバイスをすることもできるのです。
ただ、8K映像をスムーズに転送するには5Gや新しい光ファイバーなどの高速通信技術の普及が必須です。8K内視鏡と5Gなどを組み合わせた実証実験については現在検討している段階です。
オンライン診療には“5G+光ファイバー”のハイブリッドネットワークが必要
Q:千葉先生としては、オンライン診療についてのどのようにお考えでしょうか。
千葉:オンライン診療は将来的に有用なものになりうると思いますが、オンラインで十分な診療を行うためには、さらに画質を向上させることに加えて、通信技術の向上も必要となります。
そのためにまずは、5Gの技術を積極的に導入していくことが重要です。医療業界における5Gは技術として、あるいはデバイスとして、最適なものが出来上がっているわけではありません。そこで、既に実現している技術を上手く組み合わせ、さらにはデバイスの開発も進めながら、もしオンライン診療を導入するならどういう患者さんに、どういう診療領域で実施するのか、ということをきちんと定義した上で実現を目指していくべきでしょう。
ただ、無線である5Gは短い距離しか届かないので、離れている病院同士や他国の病院とつなぐとなると、現状では無線の5Gと有線である光ファイバーを組み合わせたハイブリッドのネットワークシステムが必要になると考えています。このような仕組みを構築できれば、8K技術と組み合わせることでオンライン診療はどんどん拡大していくでしょう。
Q:DNPではオンライン診療向けに「画像補正サービス」の提供を開始しました。
※DNPのオンライン診療向け「画像補正サービス」
自宅にいる患者が、1cm角程度のカラーチャート「CASMATCH(キャスマッチ)」を自身の身体に貼って撮影すると、専用サーバーがCASMATCHの色を基準に画像の色調を調整し、病院にいる医師が患者の顔色や患部の色などを適正に診断できるサービス。
オンライン診療時の画像の色を補正するサービスの提供を開始
https://www.dnp.co.jp/news/detail/10158216_1587.html
千葉:これはこれからオンライン診療が普及していく上で非常に重要な試みだと思います。
これまで、「色の補正」まで考えていた医師はあまりいませんでした。しかし、実際には機材のメーカーや画像を見る環境によって色味は大きく異なります。それだけでなく、日本や日本人とは異なる国や地域の人たちが同じ色覚だとは限りません。そこで、医療の世界でも手術用や診断用として色の標準を決めておくことは必要だと考えています。
「医療の色の標準」ができれば、医療業界でも色に対する共通言語ができるわけです。そのため、現在この「画像補正サービス」を含め、DNPと、私が理事長を務めるMICなどが協力して、医療色彩国際標準化プロジェクトという取り組みを進めています。
Q:オンライン診療の課題をお教えください。
千葉:医療を行う際に、数は少ないけれども、絶対に見落としてはいけない患者さんが一定数います。例えば、心筋梗塞の発作が始まりかけているとか、意識が混濁し始めている糖尿病の重症患者とか。それをオンラインでどこまで見過ごさずに診療できるかが最大の関門です。
「画像補正サービス」や通信インフラとデバイスの整備はもちろん大切ですが、医師にとってさらに重要なことは、オンライン診療だからといって人間同士のコミュニケーションをおろそかにしないことです。患者だけでなく、ご家族や保健師とのスムーズなコミュニケーションをとるためのトレーニングが今以上に医師には求められるようになります。
そこで、特に問診では、メディカルインタビュー(医療面接)の進め方が大事になってきます。オンライン診療に合わせたメディカルインタビューのトレーニングを積み、今後さらに進化するであろうオンライン診察向けのデバイスを利用して「どこまでオンライン診療ができるのか」「どこまで患者さんとお互いに理解しあえるか」という評価をすることが必要になります。
持続可能な医療のためには、医療従事者のアイデアと企業との協創が必要不可欠
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Q:今回うかがった千葉理事長の取り組みは、SDGsの目標にあるゴール3「すべての人に健康と福祉を」やゴール9「産業と技術革新の基盤をつくろう」などの達成に寄与するものですが、持続可能な医療についてのお考えや、今後の医療に対する想いをお聞かせください。
千葉:SDGsを念頭に置いて行動していたわけではありませんが、8K内視鏡にしろ、色の標準化にしろ、私たちがやってきたこと、やろうとしていることはSDGsが目指している「持続可能でより良い世界」の実現に自然な形で貢献できるものだと感じています。
持続的な医療の進化のためにもう一つ大事な点として、医療は子どもが生まれる前から始まるということを皆さんに認識してほしいと思っています。胎児に内視鏡手術をするのはごくごく一部の止むを得ない場合であり、基本的に妊婦さんにも生活管理など配慮していただくなど、生まれた赤ちゃんのその後の人生を、いかに病気をしないで済むようにできるかが出生前医療のもっとも大事な点だと思っています。
また、ある医療機器・サービスを開発しようとするときに、そのニーズについてのアイデアは主にユーザーである医師・看護師・臨床検査技師などのスタッフから生まれるべきだと考えます。毎日診療をするなかで必要と感じたものがあれば、それをエンジニアや機械・電気工学者などに相談する。さらに知財や法務、マーケットの調査などを担当するビジネスパーソンがそこに加わり、実際に開発が始まる前からその三者が密接に話し合って進めていけば、出来上がった製品が現場で使えないという事態にはならないはずです。この三つ巴を私はR&Dトライアングルと呼んでいますが、日本ではこのような仕組みが今でもあまりありません。このR&Dトライアングル方式が当たり前になってほしいと思います。
DNPは医療に広範囲に取り組んでいて、その熱意を理解していますので、持続可能な医療の実現のために、これからもぜひご一緒していきたいです。
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8K内視鏡を世界で初めて実用化した千葉理事長は、そのシステムと5G技術などを組み合わせた遠隔治療・オンライン診療の普及も見据えるなど、常に人々の健康を支えるために必要な医療発展を考えて、実際に行動されています。
今回DNPは、オンライン診療向けに、印刷会社としてのノウハウを活用した「画像補正サービス」の提供を開始しましたが、今後さらにオンライン診療の精度を向上させるためには、8Kなどの高精細画像対応が求められます。さらに、この技術を遠隔診断などにも応用するためには、千葉理事長の言葉通り、大容量の画像・映像データの即時送受信を可能にする5Gなどの高速通信の普及が必須です。
DNPは5Gなどの次世代通信事業にも注力しており、現在スマートフォン向けの超薄型放熱部品「ベーパーチャンバー」や、設置場所を選ばない透明アンテナフィルムといった5G対応製品向けの部品開発などを進めつつ、それらをIoT(モノのインターネット)の情報セキュリティを高めるプラットフォームと組み合わせて提供することで、5Gが快適に、安心して利用できる情報社会の実現を目指しています。
今回取材した8K内視鏡開発をはじめとする千葉理事長の取り組みや、オンライン診療の精度向上に貢献するDNPの「画像補正サービス」、そしてそれらの技術を活かすために必要な5Gとその普及を支えるDNPの次世代通信事業は、すべて国連が2030年までに達成すべき目標として掲げた、SDGsのゴール3「すべての人に健康と福祉を」やゴール9「産業と技術革新の基盤をつくろう」などの項目の達成を目指すものです。
DNPは、今後も8K・5G関連の製品・サービスの研究開発を推進し、その技術をこれからのオンライン診療や医療分野などに活かすことで、人々の安全で質の高い生活を支え、生涯にわたる健康維持をサポートする価値の創出に取り組んでいきます。
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