なぜ証明写真が“綺麗に”撮れなきゃいけないの? 「盛り」の研究者と一緒に考えた

スマホアプリなどで自分の写真を「盛る(補正・加工する)」のはあたりまえの時代。証明写真機もまた、本人確認のための写真を撮るという本来の役割を果たしつつ、撮影技術や画像補正機能などで「より綺麗に顔を見せる」ことを追求してきました。なぜ証明写真機は「綺麗に撮れる技術」を発展させたのか、そして綺麗に撮るために開発者はどんな試行錯誤を重ねているのか――。技術やカルチャーの側面から「盛り」の概念を研究するメディア環境学者・久保友香さんと、証明写真機「Ki-Re-i」の開発者が、その秘密に迫ります!

目次

プロフィール

写真左:久保友香(ゆか)さん
メディア環境学者。1978年、東京都生まれ。慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科卒業。2006年、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、博士(環境学)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員などを歴任。著書に『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(2019年、太田出版)『ガングロ族の最期 ギャル文化の研究』(2024年、イーストプレス)など。

写真右:落合俊彦
大日本印刷株式会社 イメージングコミュニケーション事業部品質保証本部。証明写真機「Ki-Re-i」の主幹技術員。およそ20年にわたってKi-Re-iの開発に携わる。

フォトスタジオ並みのライティング環境! Ki-Re-iで「綺麗」に撮れるワケ

――対談の前に、まずは久保さんにKi-Re-iで証明写真を撮っていただこうと思います。久保さん、直近で証明写真を撮影されましたか?

久保友香さん(以下、久保):半年前に撮りました(笑)。でも、こうして他人に見られながら撮影することはないので、なんだか緊張しますね……。

素朴な疑問なのですが、証明写真機のボックスサイズはどのように決まっているのですか? 狭過ぎず広過ぎず、絶妙の広さだな、と毎回思っていて。

落合俊彦(以下、落合):さまざまな場所に設置できるコンパクトさ、写真を撮るうえで必要最低限な被写体とカメラの距離、両方を担保したサイズに設計しています。

久保:駅の構内にもビルの中にも置きたいし、写真も綺麗に撮りたい。そんな要請があって、このサイズに落ち着いているんですね。

あと、証明写真機といえばこのカーテン。撮影している人の顔を隠すためでもあると思いますが……それだけではないですよね?

落合:これはライティングの一端を担っています。設置環境(明るさ)に左右されず綺麗な写真を撮るには、やはりカーテンを閉めて撮影したほうがいいと思います。

そもそも証明写真機は、それまでフォトスタジオで撮るのが一般的だった証明写真を自動で手軽に手早く撮るという目的で開発され、 昔はスピード写真機なんて呼ばれていました。

Ki-Re-iのコンセプトも「フォトスタジオのライティングを証明写真ボックスで再現する」! だから、このボックスの中で、フォトスタジオに近いライティング環境をつくっています。実は合計5つもストロボを設置しているんです。

ストロボを隠さないように、という注意書きも

久保:そんなに! たしかに、撮影する時、すごく明るくなりますもんね。

落合:ストロボを設置するポジションにもこだわっていて。光を直接被写体に当てるのではなく、ボックスの壁に反射させて空間全体が明るくなるようにしています。フォトスタジオではレフ板(光を反射させるリフレクター)などを使っていろいろなところからいろいろな光を当てますが、それを再現しているんです。

久保:壁が白くなっているのも光を反射しやすいからでしょうか?

落合:はい、その通りです。ちなみに、カーテンの裏側も明るい灰色なので、カーテンを閉めるとより光がより反射してボックス内が明るくなる、という理屈ですね。

久保:なるほど。そう考えると、綺麗な写真を撮るうえでライティングは大事ですよね。若者たちも写真を「盛る」ために、顔に光が当たりやすい自販機の前や車の助手席で撮る、みたいなライティングテクニックを使っていますから。あまり夜遊びをしたがらないのも「昼に写真を撮ったほうが盛れるから」みたいな説もあるほどです(笑)。

――最近は画像処理の技術進歩が著しいので、多少暗い場所で撮っても加工で明るくできるんじゃないか、と門外漢としては感じたのですが……。

落合:たしかに、最新の技術があれば画像加工だけでフォトスタジオのライティングを再現できるかもしれませんね。ただ、証明写真機は全国展開する工業製品ですし、製造コストも限られているので、画像加工以前に「ライティングで綺麗に撮る」という視点が欠かせません。

久保さんが撮影した証明写真が完成!

久保:プリクラなどのプリントシール機も、画像加工の技術が発展してもなお、ライティングを非常に重要視しています。おかげさまで綺麗な証明写真が撮れました。

※「プリント倶楽部」「プリクラ」はセガの登録商標

実際に撮影した「証明写真」

あ! 証明写真以外に「プロフィール写真」というモードもあるんですね。

落合:ぜひこちらも使ってみてください。最近開発した、チャットやSNSのアイコンなどに活用できる写真を撮影する機能です。Web会議やビジネスチャットなどオンラインで誰かと会話する機会が増え、その際に使用するプロフィール写真をより魅力的に撮影したい、というニーズが高まっているんです。

久保:なるほど、証明写真とは撮り方が違うんですね。

落合:まず、アイコンは寄り過ぎると不自然に見えるので、証明写真と画角を変えています。自然に見えるこの角度をリサーチするのに試行錯誤を重ねました。

実際に撮影した「プロフィール写真」

久保:たしかに、真正面よりは多少傾きがあったほうが、日常的に見せている姿に近くて、自然です。公式的な証明写真とは違うところですね。

落合:あとは音声ガイダンス。より自然な表情で撮影していただくため、ガイド音声に沿って表情筋を動かす「笑顔エクササイズ」のパートを撮影前に設けています。

「笑顔エクササイズ」のガイダンス画面

久保さんも「笑顔エクササイズ」にチャレンジ

久保:いいですね。どうしても写真を撮られる時は緊張してしまうので、こうした機能があれば自然と口角も上がりそうです。

落合:オフィスやカフェ、公園などの「背景」も設定できるんですよ。

利用者が好きな「背景」を選択できる

久保:ZOOMのようなWeb会議ツールみたい。証明写真を撮る時は画角や表情、背景を特に意識しなかったので、逆説的に証明写真の特徴が浮かび上がってきて面白いです。

「その人らしさ」を変えず、綺麗にするには? 証明写真の画像補正をめぐる試行錯誤

――ここからさらに、Ki-Re-iの開発秘話を掘り下げていきたいと思います。落合さんはKi-Re-iを開発するプロセスでどんなことに苦労しましたか?

落合:今も昔も苦労するのは「写真の綺麗さ」を定量化することです。画質を管理すること、と言い換えてもいいかもしれません。そもそも写真の良し悪しはトレンドによって変わりますが、いざ工業製品をつくるとなると規格化が必要ですし、公的書類の本人確認という証明写真本来の役割も果たさなければなりません。変えなければならないものと変えてはいけないものの微妙なバランスのうえに、証明写真機は成立しているわけですね。

――その辺りの試行錯誤が「最近の証明写真って綺麗になったね」というユーザーの反応にも表れているんですね。

久保:プリントシールにも近いところがあります。以前、プリントシール機のメーカーさんと共同研究する中で、プリントシールにとっての「良い写真の物差し」を一緒に検討したことがあって。グループインタビューなどを通してユーザーの反応が良かった加工を採用するプロセスもあるのですが、基本的には感度が高い企画者の経験知に委ねられていました。

久保友香さん

落合:たしかにプリントシールも定量化が大変そうですね。ただ、プリントシールと証明写真で根本的に違うのは、前者が「自分のために撮る写真」であるのに対し、後者が「相手のために撮る写真」であることです。先ほども述べましたが、証明写真の本来的な役割は本人確認なので。

久保:なるほど。プリントシールがデカ目などの「盛り」の技術を発達させたのは、自分は現実の自分の姿を一度も見たことがないという事実も影響していると考えています。本人確認のためには、現実の自分の姿と写真にうつる自分の姿を見比べて同一人物だと、相手に判断してもらうことになりますものね。

でも、本人確認を厳格に行うのであれば、証明写真の仕様には厳格な規定を設ける必要がありそうですが、実際はどうなんでしょう?

落合:パスポートには国際規格がありますが、その他多くの公的書類には共通の規定がありません。証明写真を使う証明書によってレギュレーションが異なるので、それらをすべて満たせるよう我々メーカーが自己規定しているのが実情かと思います。

久保:そうなのですね、てっきり証明写真機に課された規定があるのかと思っていました。それだから画像補正の余地があるわけですね。

落合:もちろん、公的な書類に採用されるレベルの写真は提供できているので、自由に規定しているわけではありませんし、15年ほど前に肌質や明るさの補正機能をリリースした時は“おっかなびっくり”でした。公的な機関などにも「大丈夫ですか?」とヒアリングしたのを覚えています。ただ、究極的にはユーザーに写真を撮って使ってもらわなければ製品として成り立ちませんから、画質を綺麗にしよう、という開発者側のモチベーションは働きますね。

久保さんと落合の対談の様子

久保:ユーザーのニーズが基準を定めているわけですね。そのような中で「これだけは守る」という補正の基準はあるんですか?

落合:補正後も「その人らしさ」を残すことです。肌を綺麗にするといっても、たとえばシワやシミなんかは完全に消してしまうと本人らしさがなくなるのでNG。うっすら見える程度までにしています。ホクロなんかもあまり目立たない程度までしか補正しません。特徴は残しつつ、本人が綺麗になっていると感じられるバランスを重視しています。

久保:そういう意味では、プリントシールも実はそうなのです。「盛りたいけど、盛り過ぎて別人になるのはいやだ」という。それってどういうことなのかを調査したのですが、どうやら「盛りの度合いを大きくしていくと、急に“別人感”が高まるポイント」があって、これを私は「盛れ過ぎの坂」と呼んでいます。この坂のギリギリ手前がユーザーの望む「盛り」なんです。「自分らしさ」は残したいのです。

「盛れ過ぎの坂」を可視化したもの(画像提供:久保さん)

落合:興味深いですね。そういえば、Ki-Re-iもかつて極端に肌を綺麗にする機能を搭載したことがあります。ただ、そうしたニーズが近年は減ってきたようにも感じていて、その境目は2010年頃だった印象があります。

久保:2010年頃といえば、プリントシールの加工トレンドが変わったタイミングでもあります。それまでのトレンドだったデカ目や肌を明るくする加工から、彫りや血色など人間が元々持っている要素を強調する「ナチュラル盛り」へ主流がシフトしてきました。

落合:彫りを深くするところまではやりませんが、パーツをハッキリさせるのはKi-Re-iの画像補正の方向性にも近く、めざす写真のクオリティとしては案外同じところに落ち着いてきているのかもしれませんね。

落合俊彦

今、証明写真が若者にウケる理由

――そういえば、2023年頃から今度は証明写真が「自然に盛れる」と若者の間で話題を集めている印象があります。先ほどお話しいただいた画像補正の方向性が若者に受け入れられてきているのでしょうか?

久保:先ほど触れたように、若者たちは写真で「自分らしさ」を表現しようとします。その表現の仕方にはトレンドがありますが、今の流れに証明写真はフィットしているから、というのはあるでしょうね。実際、kemioさんのような人気のインフルエンサーも「証明写真が好き」だと発信しています。

2020年頃からは、証明写真をコミュニケーションに使う若者も増えています。複数人で証明写真のボックスに入ってポーズを決めながらプリクラのように撮影したり、インスタグラムやTikTokに撮影の様子を投稿したり。私の学生時代は「証明写真機で撮った免許証の写真は他人にあまり見せたくないもの」という認識がありましたので、隔世の感がありますね。

また、若者たちは「間口は広いけれど奥が深い手段」を好む傾向があります。皆で一緒に楽しめるように誰でも使える手段がいいけれど、若者たちにとって顔写真は作品なので、制作プロセスが簡単過ぎるのはつまらないのです。そうしたニーズに刺さったのが証明写真機だったのかもしれません。プリントシールやスマホアプリは盛りやすい半面、簡単過ぎるようになった。その点、証明写真機は制約があって簡単に盛れないからこそ遊びがいがある。いわば茶道や武道の「守破離」と同じで、まずは証明写真という「型」を守ったうえで、それを破り、独自の使い方を生み出していく。制服という「型」を取り入れたうえで着崩しを楽しむ、学生の美意識と近いですよね。

久保さんと落合の対談の様子

落合:もはや開発者が想定もしないような立ち位置で受け入れられているんですね……。

おわりに 〜証明写真は何を「証明」している?〜

――今日、さまざまな切り口から証明写真について考えてみて、いかがでしたか?

久保:とても刺激的でした。対談前は、証明写真には昔から変わらない規定があるものだと思っていたのですが、実際は「変えていくものと変えてはいけないもののせめぎ合いの中でつくられているんだな」と。

久保友香さん

そして、スマホの自撮りアプリやプリントシールが「特定のコミュニティに見せる顔」をつくるのに対し、「公共に見せる顔」をつくるのが証明写真機なのだと感じました。この機能は他の撮影装置では代替できませんよね。

哲学者の和辻哲郎は著書の『面とペルソナ』で、人間は顔を知らない相手とコミュニケーションする時も、必ず「相手の顔を想像」していると指摘しています。最近は「履歴書に顔写真は必要か」という議論もありますが、相手とコミュニケーションするために、顔はやはり必要であることを示していると思います。しかし同時に、その顔が「実体としての顔」である必要はなく「記号としての顔」で十分であることも示していると思います。

落合さんが証明写真について「相手のために撮る写真」だとおっしゃったのは、まさにそういうことだと思います。証明写真機は、相手とコミュニケーションするために必要な「記号としての顔」をつくる装置であり、補正や加工の機能もその一端を担っているのではないでしょうか。時代が変わっても、人々と公共との関係が断ち切れない限り、証明写真のニーズはきっと失われないのだろうな、と思います。

※記載された情報は公開日現在のものです。あらかじめご了承ください。