gggから全国へ。“時代を超えて大切なもの”を写し出す「石岡瑛子I(アイ)デザイン」展

gggから全国へ。“時代を超えて大切なもの”を写し出す「石岡瑛子I(アイ)デザイン」展

2023年9月から2025年6月まで、国内5カ所の美術館で開催されている「石岡瑛子I(アイ)デザイン」展。そのベースとなったのが、公益財団法人DNP文化振興財団が運営する「ギンザ・グラフィック・ギャラリー(以下ggg)」で2020年に開催した企画展「SURVIVE-石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」です。なぜ今、石岡瑛子展が注目されるのか。そして、ggg発の企画展が全国に広がった背景とは。企画・監修に携わる河尻亨一氏と、ggg企画室の田仲文、伊藤紗知代に話を聞きました。

目次

河尻亨一さんとDNP文化振興財団の田仲、伊藤

河尻亨一(かわじり・こういち)氏(写真・中央)
編集者、ライター。雑誌「広告批評」在籍中には、広告を中心に多様なカルチャー領域とメディア、社会事象を横断するさまざまな特集を手がけ、これまで1000人に及ぶ世界のクリエイター、タレントにインタビューする。評伝『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』で第75回毎日出版文化賞受賞(文学・芸術部門)。カンヌライオンズの取材、石岡瑛子展ほかの監修も手掛ける。翻訳書に『Creative Superpowers』。

公益財団法人DNP文化振興財団 ggg企画室
 田仲文(たなか・あや)(写真・右)
 伊藤紗知代(いとう・さちよ)(写真・左)

DNP文化振興財団は、グラフィックデザインやグラフィックアートの普及振興を目的として、展示事業、教育普及事業、アーカイブ事業、国際交流事業、研究助成事業の5つの柱で文化活動を展開する公益財団法人。運営施設として、「ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)」「京都dddギャラリー(ddd)」等がある。

私を完璧に表現する。「I Design」を貫いた石岡瑛子

Q. 河尻さんは石岡瑛子氏の評伝『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』を執筆しています。彼女の魅力をどのように捉えていますか。

河尻亨一氏(以下、河尻)
ひと言で言うと、「すごい人」。そうとしか形容ができないほど唯一無二の存在であり、戦後日本デザイン界の“特異点”と言えるデザイナーです。その理由が二つあります。

一つは「実績」。女性グラフィックデザイナーが少ない1960年代に、瑛子さんは資生堂のポスターで新しい女性像を表現し、センセーションを巻き起こしました。その後もパルコや角川文庫などのキャンペーンを次々とヒットさせ、グラフィックデザインの可能性を世に知らしめました。1980年代以降は映画や演劇の衣装デザインや美術、サーカス、ミュージックビデオ、オリンピックのプロジェクトを手掛けるなど、ジャンルを次々と越境し、各分野で高い評価を受けてきた人です。

もう一つは「創作姿勢」。瑛子さんの仕事はほとんどがクライアントワークで、表現上の制約があるものです。それにも関わらず、彼女は一切妥協することなく、「私を完璧に表現する」という信念を持ち続けた。自分を100%表現する「I Design」を貫くことがクライアントの課題を解決すると考えていたのでしょう。

人によっては「『I Design』なんて傲慢だ」と思うかもしれません。しかし、評伝を書いたときに私が思ったのは、自分をブレずに表現することは「時代を超えても古びなくするための手法だったのではないか」ということ。人の心を動かすものは結局、個人の奥底から沸き上がってくるものなんですね。瑛子さんは感覚や直感を大事にする人でありつつ、作品の耐久力を上げるために、メソッドとして戦略的に「私」を意識していたのでは?これはもうある種の“哲学”だと考えざるをえないほど「I Design」を徹底しています。

石岡瑛子さんの写真

写真:細谷秀樹

田仲文(以下、田仲)
石岡瑛子さんの作品には、ブレない一本の芯が通っていますよね。ポスター1枚からでも、彼女がどれだけのエネルギーを費やしたかが伝わってくる。どの作品からも力強さを感じます。

伊藤紗知代(以下、伊藤)
彼女の作品を前にすると、ぞっとする感覚に襲われますよね。いい意味で「やばさ」を感じる作品ばかりで、素通りできないほど惹きつけられてしまいます。

河尻亨一さん

Q. 2020年にgggで開催した企画展「SURVIVE-石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」はどのような経緯で生まれたのでしょうか。

田仲
私たちは瑛子さんがご存命のときから、「gggで展覧会をしませんか」とラブコールを送っていました。しかし、幅広い分野で活躍されていた瑛子さんのなかでは、個展を開催するのであれば、大規模な美術館で自分の全仕事を公開したい、という強い思いがあり、グラフィックデザインの仕事に特化したgggでの展覧会開催は、それが実現してからにしてほしいと断られてしまいました。

その後もアプローチを続けていたのですが、話が大きく動いたのは2012年1月に瑛子さんが亡くなったあと。妹の石岡怜子さんが瑛子さんの展示を実現するために動かれて、東京都現代美術館で大規模な石岡瑛子展が決まったのを受け、怜子さんから「gggでグラフィックデザインに特化した企画展を実施しないか」とオファーをいただきました。このときに、怜子さんと一緒に監修いただいたのが河尻さんです。

河尻
DNPさんとやり取りが始まったのはその少し前、DNP文化振興財団のアニュアルレポートに瑛子さんのコメントを掲載したいとオファーを受け、インタビューを担当したのがきっかけです。今回の一連の巡回展でも館内で聞くことができますが、その肉声が彼女の生前最期のロングインタビューとなりました。

インタビューから半年後、瑛子さんはこの世を去ります。そのとき私は石岡瑛子というデザイナーが思いのほか国内では忘れられていることに驚きました。名前は知っていても、その業績の一部しか知らないとか。後半生はアメリカで活動していたとは言え、時を超えて人の心を動かす力を持つ彼女のマインドが次の世代に受け継がれていかないのは、あまりに寂しい。

その後、2015年に怜子さんとの出会いがあり、彼女が準備していた石岡瑛子の全貌を紹介する展示についてさまざまな話を聞く中で、評伝『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』の構想が膨らんでいき、gggでの企画展にも協力させていただくことになりました。

gggの展示

photo by Mitsumasa Fujitsuka

回顧展ではなく、若い人たちをインスパイアする企画展に

Q. gggで企画展を実施するにあたり、石岡瑛子氏の「すごさ」をどのように表現したのですか。

河尻
東京都現代美術館ではグラフィックから衣装・セットなど生涯にわたる仕事の全貌を見せることになっていましたから、同時開催となるgggでは“ひと工夫”が必要でした。そこで僕らが意識したのは、石岡瑛子さんのマインドや熱量を今の人たちにリアルタイムに感じてもらおうということ。回顧展ではなく、若い世代をインスパイアする企画展にしたいと考えました。

当初はポスターというトラディショナルなメディアに若い人が興味を持ってくれるのか、ただポスターの名作を見せるだけで石岡瑛子の熱量が伝わるのか、確信が持てず、怜子さん、アートディレクターの永井裕明さん、田仲さん含めたDNPの関係者で議論を重ねて辿り付いたのが、「瑛子さんの言葉を伝える」というアイデアです。そこに至るまで方向性がなかなか見えてこず、何度も話し合いを重ねましたね。

田仲
石岡瑛子さんの言葉にはクリエイターとしての矜持が詰まっています。彼女の言葉からはグラフィックデザインが花開いた1960年当時の熱量が伝わってきますし、今聞いても奮い立たされるような名言ばかりです。

会場の1階では瑛子さんの言葉を21本の巨大な柱に大きく掲げ、新進気鋭のデザイナー集団によるモーショングラフィック映像を上映。また、地下会場では、代表作をぎゅっと展示した中に、河尻さんが録ってくださったインタビュー音源を流し、瑛子さんの肉声が降り注ぐ演出をしました。これは河尻さんのアイデアです。

河尻
来場していた若い方が足を止めて、瑛子さんの言葉を手書きでメモしていたのが印象的でした。彼女の言葉から何かを受けとってくれたんだ、とほっとすると同時に、これを必要としている人がいる、そんな確信を持ちました。

gggから全国へ発信。巡回展「石岡瑛子Iデザイン」

Q. その後、全国の美術館で「石岡瑛子Iデザイン」展を実施することになった経緯を教えてください。

田仲
gggで企画展を実施したのはコロナ禍の最中で、遠方から足を運んでいただくことが難しい時期でした。来ていただいた方の反響はかなり大きかったので、もっと多くの方に石岡瑛子さんの魅力を知ってもらいたいと、巡回展の構想が持ち上がりました。

そこで、全国の美術館ときめ細かなつながりを築いてこられた、S2(株)迫村裕子さんに「石岡瑛子展」開催に相応しい館を選定いただきました。おかげさまで開催したいとおっしゃってくださる学芸員の方々とのご縁に恵まれ、北九州市立美術館、茨城県近代美術館、兵庫県立美術館、島根県立石見美術館、富山県美術館の5館での巡回展が実現できることとなりました。

巡回展を実施するにあたって心配したのが、gggよりはるかに広い面積の美術館を会場とすることで、gggでの企画展のときの熱量や臨場感が希薄になってしまわないかという点です。

田仲

河尻
その対策の一つが、会場内に設置する赤いテントの中で彼女の作品と言葉を映像で体験できる「劇場型コンテンツ」です。北九州市立美術館の学芸員の方より「時代の体験装置」があるといい、という意見があり、どんなものなら実現できるかを皆で話し合っていたときに永井さんからテントのアイデアが出ました。私も瑛子の世界を体感するトリガーとして、擬似的な“劇場”か“ステージ”をつくりたいとgggの展示のときから思っていましたので、これは素晴らしいと。

内部では1972〜1980年のパルコのCM28本と、gggやdddでも上映したポスター素材を使ったモーショングラフィックに、瑛子さんの言葉を流しました。テントの中に入って映像を観ることで、より没入感を得られたのではと思います。

2023年9月9日~11月12日に「石岡瑛子Iデザイン」展が行われた北九州市立美術館

Q. 来場者からはどんな反響が?

伊藤
SNSでは「ぼーっと生きてるんじゃないと、瑛子に叱られている気がした」といった反響もありましたね。

ただ作品を観るだけではなく、その場で何かを感じて刺激を受けている方が多い印象です。彼女のメッセージを自分のこととして捉えてもらえたことがうれしいです。

Q. ggg発の地方美術館での巡回展は初めての試みですが、どのような意義を感じていますか。

田仲
グラフィックデザインの多くは街中にあり、役目が終わったら捨てられてしまうものですが、gggではあえてその役割から切り離して展示することで、デザイン自体の力を伝えています。また、単に著名なデザイナーや作品を紹介するだけでなく、デザイナーにとっての実験場をめざすなど、広い意味でグラフィックデザインを見据えた発信に努めています。

こうした活動もあって、gggは銀座の小さなギャラリーではありますが、グラフィックデザイン界では世界各地からも認知される存在となりました。これからは、ギャラリーに直接来ていただくだけでなく、もっと外に向けてグラフィックデザインの可能性を発信していきたいという思いがあります。

今回の巡回展はそうした活動の第一歩となりました。2025年6月までの「石岡瑛子 Iデザイン」展も、それぞれの美術館に合わせて最適化しながらバージョンアップさせていきたいと考えています。

また、瑛子さんの「デザインに自分の思想を込める」という考え方からは、グラフィックデザインの新たな可能性を強く感じます。今回の巡回展をきっかけにして、そうしたことも広めていきたいですね。

伊藤
多くの美術館が石岡瑛子展に興味を持ってくれたのは、広告やグラフィックデザインの枠を越えて、アートとしての価値やメッセージを感じ取ってもらえたからだと考えています。

ggg発で「グラフィックデザインとアート」の、「ギャラリーと美術館」の境界線を無くすような企画展を実現できたことは、今後に向けて大きな意義のあることだと思います。

伊藤

グラフィックデザインの価値を伝え続ける

Q. あらためて、石岡瑛子氏にとってグラフィックデザインにはどのような価値があったのでしょうか。また、グラフィックデザインの可能性をどのように考えますか。

河尻
瑛子さんにインタビューしたとき、広告の世界に飛び込んだ理由として、「世の中をガッと攪拌するような仕事をしたい。そんな野心があった」と語っていました。

当時、主流のメディアだったポスターにはまさにその力がありました。先進的なデザイナーが、さまざまな制約がある中で1枚のポスターに圧倒的な熱量をぶつけていた。皆、グラフィックデザインには社会を変える大きな影響力があると確信していたのだと思います。

その後、瑛子さん自身は時代の変化とともに映像や舞台、衣装へとジャンルを越境していきますが、表現のキャンバスが紙からほかの素材、そして布になっても「I DESIGN」という核はずっと変わりません。

グラフィックデザインの可能性もそこに秘められていると思うんです。人と同じくメディアにも「I」、つまりその“キャンバス”でしか表現できない本来の核(アイデンティティ)があるはずで、信念を持ってそこを掘り下げれば現代的な存在意義が見つかると思います。

生前最後となったロングインタビューで、瑛子さんも言っていました。「グラフィックデザインはサバイブできる」と。しかし、そのための「人」が出てこなければダメだと。

メディアの多様化が進んだ現代は、カオスとも言える状況です。その中で確固とした伝統を持つメディアは潜在力を秘めています。カンヌライオンズなど世界のクリエイティブアワードを見ていても、広義のグラフィックデザイン的視点やスキルが求められる機会は、実は以前より増している気がしますし、「紙」を再評価する動きもあります。しかし「I」を喪失すると折角のそのチャンスにも気づけませんよね。「AI」でいい、ということになってしまいかねない。

「未来は本来にある」という言葉があるように、未来をつくるには本来を見直すことが大切です。石岡瑛子の言葉や作品を伝えていくことは、“グラフィックデザインの本来”を探す旅だと私は考えていますし、その原点を発見できれば、かなり大きな可能性に気づけると思うのですが……。少なくとも今回の展示はそこへの挑戦です。“I GRAPHIC”は人を魅了すると思いますね。実際、多くの来場者が感銘を受けているわけですから。

田仲
おっしゃるとおりですね。特にDNP文化振興財団がアーカイブとして所蔵している、石岡怜子さんをはじめ多くの方々からご寄贈いただいた約700点に及ぶ瑛子さんのポスターは、ぜひ多くの人に見ていただきたいと思います。当時最先端のデザイナーたちがアイデアを競い合うなか、そのトップランナーである石岡瑛子さんが生み出した作品の数々は、グラフィックデザインの原点であり、今なお輝きを失わない光を放っています。

これからも私たちはgggで、観ていただく人がグラフィックデザインの現在を体感でき、また過去の遺産を再発見し、未来へつなげていくような幅広い発信を続けていきます。

石岡瑛子の表現へのこだわり、作品がまとうオーラは、 美術やメディアというジャンルを超えて発信すべき価値があると感じました。

2024年4月27日~7月7日に「石岡瑛子Iデザイン」展を開催している茨城県近代美術館の首席学芸員・澤渡 麻里(さわど・まり)さんから、次のようなコメントが寄せられました。

澤渡さん

当館では初めての試みとなるアートディレクターの大規模な展覧会でした。2020年に東京都現代美術館とギンザ・グラフィック・ギャラリーで展覧会を拝見して、「石岡瑛子という“すごい人”がいた」ことを今こそ伝えなければと感じたのがこの展覧会を開催したきっかけです。彼女がもつクリエイターとしてのこだわり、妥協や効率とは真逆の表現の強さ、そうしてその作品がまとうオーラのようなものには、不変の価値があります。石岡瑛子のポスターなどのグラフィックデザインは、それをリアルタイムで見たことのない若い世代の感性にも強く訴えることと確信しています。

茨城県近代美術館の展示の様子

【インタビュー動画3分34秒】



DNPの文化活動について
https://www.dnp.co.jp/corporate/culture/

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