ミクロンの世界に活きた想像力

目次

大日本印刷株式会社(DNP)のエンジニア、土屋輝直には一風変わった「特技」がある。街をなにげなく歩いていても印象的な建物に出会うと、その設計図がパッと目の前に広がって見えてくる。家族と出かけた遊園地では、乗り物が「荷役搬入車両」に見える。その構造を探り当てようと、頭の中で設計図を描いてしまうのだ。

しかし、肉眼で見ることができない構造を想像し、その設計図を描くこの能力こそが、DNPのICカード製造事業を、「お荷物」から「優良事業」へと変えた立役者として、土屋を社内に知らしめることになる。

DNPの技術開発センターで12年間、研究者として勤務した後、土屋がICカードを製造する牛久工場(茨城県)に赴任したのは10年ほど前。当時、DNPは日本市場に出回り始めた非接触ICカードの性能向上に取り組んでいた。土屋は、その課題解決を担当するプロジェクトチームのリーダーを任されたのだ。

時間との戦いだった課題解決

DNPが製造するICカード

着任後の半年間、8人で構成されたチームは昼夜を問わず課題の究明と解決に当たり、フル回転で仕事に取り組む日々が続いた。「厚さ0.76mmのICカードの中で、いったい何が起こっているのかを頭の中でイメージすることが課題の解決に不可欠でした」と、土屋は当時を振り返る。「使い勝手が悪ければ、非接触ICカードの今後の普及にも影響する恐れがありました。カードの隠された不具合を早急に特定する必要があったのです」。一刻の猶予も許されない、厳しい状況だった。

そんななか、ひょんなことから、部下の1人がICチップとアンテナを熱圧着する装置にわずかな凹みがあることを発見した。土屋は、「この凹みがあるために十分に圧着できず、非接触ICカードの通信が不安定になるのではないか?」と直感し、装置部品の材料を変形しにくいものに変更した。すると通信が安定し、それこそが不具合の原因だと分かった。また、製造時の温度や圧力をより高精度に管理することによって、カードの耐久性が劇的に向上することも確認した。

現在、DNPは世界最高水準の耐久性を持つICカードを製造している。国内でのシェアは、クレジットカードで約55%*、キャッシュカードで約80%**。年間生産枚数は約1億5000万枚に上る。[*製造枚数ベース、**受注行数ベース、*、**当社調べ]

「ICカードを主力事業に育てることに貢献できたことに、今も誇りを感じています」と土屋は語る。このリーダーとしての経験を通して、人事管理などのマネジメントの面でも大切なことを学んだ。

尖った才能を見出す

土屋を中心とした社員たちの集合写真

とかく、日本の企業では"尖った能力"を持つ社員は敬遠されがちだ。しかし、土屋はこの"尖った能力"こそ、研究開発分野には必要だと考えている。「個人の尖った能力がないと、なかなか成果が出ない。私は、部下が尖った能力を持っていれば、いわゆる平均的な企業人として多少の過不足があっても目をつぶります」と言い切る。

ICカードのアンテナ圧着装置に凹みを見つけた部下が、まさに、平均的とは言えないようなタイプだったからだ。「彼は、人とのコミュニケーションが少し苦手かもしれないが、観察力に特異な才能を持っている」と、高く評価する。

このような柔軟な考えを持つのは、DNPでは土屋だけではない。事実、DNPは技術者や研究者に大きな裁量権を与えることで知られる。時代の要請に応えられない企業は衰退の道をたどると言われるが、DNPはこのような企業風土を活かして、さまざまな技術革新を生み出し、事業を多様化させたいと考えてきた。創業以来の印刷事業から派生した技術を駆使し、エレクトロニクス部門、生活・産業部門、再生医療など、さまざまな領域で事業を展開する企業へと発展を果たしている。

印刷技術から派生する技術力

ICカードを製造している工場

ICカードも、もとをたどれば証券や金券などの偽装防止印刷技術に行き着く。この技術がまずは、クレジットカードやキャッシュカードとして広く使われてきた磁気カードに活かされ、DNPはこの分野のトップメーカーとなった。1980年代には、磁気カードとは"技術的に自転車と飛行機ほどの違いがある"とされるICカードの開発を開始し、今日に至っている。

現在、ICカードを製造しているのは国内3工場。そこでは、"ネズミ一匹入れない要塞"と例えられるほど、厳重なセキュリティが敷かれている。例えば牛久工場では、外部からの侵入を防ぐため窓が一切なく、指紋照合を含む何重もの作業者のチェックの仕組みが導入され、個人情報の流出などを防ぐ万全のセキュリティシステムが採用されている。

東南アジアのトップ企業と提携し、海外進出

土屋輝直

東南アジアなどの海外市場も視野に入れている。しかし、ICチップへの個人情報の書き込み作業が付随するため、日本で製造・発行したICカードを輸出するのは難しい。そこで打ち出したのが、各国トップ企業との提携だ。

ベトナム最大手のカードメーカー、MKSmart社と2014年に資本・業務提携を結び、東南アジアのICカードや関連製品の開拓を進めているほか、2016年には、インドネシア最大のカードメーカー、PT. Wahyu Kartumasindo International社とICカード発行の合弁会社「PT. Wahyu DNP Bureau」を設立している。

日本の製品やサービスは、高品質・高性能で、きめ細やかだと海外の評判が高い。それだけに、DNPの海外でのビジネスチャンスも広がる。土屋は、「DNPの製品はICカードの国際基準をはるかに超え、おそらく世界で最も耐久性が高い」と言う。その高品質を強みとして、「人々の生活をより便利で快適にするための製品・サービス」を海外で展開する予定だ。

  • 公開日: 2016年10月21日
  • 部署名や製品の仕様などの掲載内容は取材時のものです。予告なしに変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。