#06 DNPの三次元臓器「ミニ腸」

マーケティング本部 田井慎太郎 × 研究開発・事業化推進センター 松下沙希子
DNP×DNP 左に田井、右に松下。向かい合わせで座る写真。

「これ、iPS細胞からつくった“腸”なんです」

「うちの会社が腸をつくってる?」

「ヒトの臓器に限りなく近く、新薬の評価試験を高い水準で行えます。その量産化で…」

「薬の開発スピードが、上がるのか!」

#06 新薬の開発が加速する未来も、DNPの仕事だ。

バイオ技術を応用することでメディカルヘルスケア分野は格段に進化していく。中でも現在、世界中から注目されているのが「iPS細胞」。DNPは、2017年に国立研究開発法人国立成育医療研究センターと共同で、iPS細胞を培養してヒトの腸に近い特性を持つミニチュア臓器「ミニ腸」を創生することに成功した。試験管内でのミニ腸の創生成功は世界で初めてのことであった。現在DNPは、このミニ腸を研究用途として企業や研究所に提供している。ミニ腸の開発に携わる松下沙希子が、ミニ腸の機能や未来を語る。聞き手は、文化財やアート作品の新しい体験の提供に取り組む田井慎太郎。

松下

「iPS細胞を使ったミニ腸の開発。実は印刷の技術が応用されているんです」

松下ミニ腸の開発には、印刷の技術が応用されているんですよ。

田井印刷の? どういうことですか? ちょっと想像ができないです。

松下もともと印刷するためには、その基となる精密なハンコをつくったり、インキを紙に刷ったりする工程があります。この印刷工程で培った技術に、「微細加工技術」や「精密塗工技術」などがあります。微細加工技術は、対象物に対して非常に細かい加工を施す技術で、精密塗工技術は、均一に薄く塗工を施す技術のことです。文字通りですね。さらにこれらを発展・応用させたのが「薄膜多層パターニング技術」と呼んでいるもの。この技術を応用して、ガラスに細胞の接着を抑制する高分子をコーティングする加工を施した「基材」をつくり、その表面で細胞を培養することで、意図的な細胞パターンを形づくれるようになりました。これがDNPが本格的にメディカルヘルスケア分野に進出するきっかけとなり、2004年には毛細血管のパターン形成に成功しています。このような取り組みを続けていく中で、2017年には国立開発法人国立成育医療研究センターと共同でミニ腸をつくり出すことができたわけです。

田井薄膜多層パターニング技術…。なんだかすごそうな技術ですね。ミニ腸を培養する基材にその技術が使われているんですね。

松下ミニ腸はiPS細胞からつくっていますが、単にiPS細胞を培養するだけでは、ミニ腸にはなりません。意図した通りの構造や機能を持たせるためには、最適な形状で細胞を培養するための基材が必要です。その基材の上では、非常に細かい範囲の中で、細胞が付着して成長するところと、そうでないところを分けています。このような設計・加工をするための技術が、薄膜多層パターニング技術です。

田井実際にミニ腸を見たのですが、すごく小さいですよね? 腸のイメージとはちょっと違う気がしたのですが…。

ミニ腸(左)とその断面図(右)

松下形だけだと確かにそうですよね! ミニ腸のサイズは最大で2cm程度です。その中には腸細胞だけではなく、神経細胞や筋肉細胞、栄養を吸収する細胞などがあり、いろいろな細胞が組み合わさってできています。蠕動(ぜんどう)と呼ばれる収縮運動もします。あんなに小さいのに私たちの腸とほぼ同じような機能を持っているんです。特徴としては、実際の腸とは反転している構造だということ。実際のヒトの腸は、栄養を吸収する部分が内側にありますが、ミニ腸はそれが外側になっているんです。さらに、それが袋状になっています。この構造のおかげで、例えば、実験したい薬をミニ腸の外側にかけたときに、それが吸収されやすいかどうか、どのような効果をもたらすかといった評価も、袋の内側に溜まった液を調べることで測定しやすくなっています。

田井この小さい腸でそんなことができてしまうんですね! ちなみに、ミニ腸は一度にどれくらいつくることができるんですか? 印刷の応用ということは、一度に大量にできるのでしょうか?

松下すごくいい質問です! まず印刷物と大きく違うところは、ミニ腸が“生きている”ということです。

田井というと?

松下細胞を培養する基材の上で意図通りの形に育てるためには、「分化誘導」と呼ばれる繊細な工程があります。細胞は生きているので、100%こちらの意図通りにはできず、どうしても機能に個体差が出ます。個体差があるがゆえに、企業や研究所の希望に応じたミニ腸を提供するためには多めにつくる必要があります。例えば、1回に20個のミニ腸を提供する場合だと、100個くらいはつくらなければなりません。

田井なるほど。生きているからこそ難しいのですね。

松下それが現在の課題です。何とかしてオーダー通りのミニ腸をつくれるようにしたいと思っています!

田井

「iPS細胞の可能性を広げる製品開発がしたいという想いでDNPに入社しました」

田井松下さんはなぜDNPに入社したんですか?

松下私は、学生のころからiPS細胞の研究をしていました。iPS細胞って面白くて、最初は何でもないただの細胞なんです。でも、少しだけ手を加えてあげると、あらゆる細胞になる可能性を秘めていて。そのことを知ったときに、iPS細胞に無限の可能性を感じ、社会人になってもこのまま研究を続けたいと思うようになりました。そんな時、DNPが細胞培養の先進的な研究を行っていることを知りました。専門の学術機関などで研究に打ち込んで、掘り下げることにも魅力は感じていたのですが、研究だけでなく、iPS細胞の可能性を広げるような製品をつくるところまでできるかもしれない、それをやってみたい!と思ったのがきっかけです。

田井学生時代の研究テーマが今につながっているわけですね。

松下はい。今はその延長線上で、すごく意義のある取り組みに関わっていると実感しています。

田井素晴らしいですね。私も大学で美術史を専攻して、現在は文化・芸術のデジタルアーカイブに取り組んでいるので、気持ちはすごくわかります。

松下私たち、なんだか似ていますね!

田井研究だけでなく、製品化もめざしてきたということですが、その進め方はどのように考えてきましたか?

松下研究の一般的な進め方は、これまで科学的に解明されていないような新たな事象を見つけ、実験して、証明して、最終的には論文を発表して多くの研究者に知ってもらう、というものです。一方で、製品として開発するためには、ミニ腸を活用する人たちのニーズを確かめながら、それに沿った実務的なものをつくることが必要だと考えています。

田井現在はどのような用途で使われているのでしょう?

松下製薬会社や、機能性表示食品を扱う食品会社の研究開発部門などが、さまざまな用途で使っています。

田井いわゆるメディカルヘルスケア分野ですね?

松下そうですね。新しい薬や機能性表示食品を開発する際は、その効果を測る評価試験が必要で、その初期段階ではこれまで、マウスなどの動物で試験を行うケースが一般的でした。ただ近年、動物愛護の機運が高まっており、近い将来、動物実験ができなくなる可能性があります。そうなった時の代替手段として、よりヒトに近い疑似臓器を使用するというニーズが高まっています。

田井ミニ腸のような疑似臓器の市場はどのような状況なのでしょう?

松下ミニ腸のような三次元臓器は、総称して「オルガノイド」と呼ばれています。オルガノイド市場自体、すごくニッチなのですが、今後、間違いなく伸びていくと思っています。

田井オルガノイド……聞いたことないです。

ボトルに入ったミニ腸の様子

松下細胞を培養する際、まずは二次元の皿、つまり平面上で培養するのですが、私たちヒトは三次元で生きていて、複雑な機能を持っています。平面的な細胞培養でできるものだけだと、実際に生きているヒトとはあまりにも特性が違います。そこでさまざまな細胞を集合させて、実際の臓器に近い機能を持つ立体的な三次元の臓器をつくり出す研究が進められてきました。これがオルガノイドと呼ばれるものです。今ではさまざまな研究機関で、「ミニ脳」だったり「ミニ肝臓」だったりが開発されています。

田井そうなんですね! 全然知りませんでした。

松下私たちは、これまで世界になかったものをつくっているわけですから、そのことをやりがいに感じています。ただ、社会的に価値を見出せないと、DNPにとっても、社会にとっても意味がありません。だからこそ、ニーズ調査をしっかりと行って、価値を提供していきたいと考えています。それをきっと「未来のあたりまえ」にしていきます!

田井かっこいいですね!

松下ちょっとかっこよく言いました(笑)。

松下

「ミニ腸を使った新薬が開発され、健康寿命が伸びることを願っています」

田井ミニ腸は、生活者にとってはどのようなメリットがあるのでしょうか?

松下直接的にはメリットを感じにくい製品だと思います。しかし、例えば新薬開発の現場で使われたとします。すると、ミニ腸を使って評価試験された新薬が手元に届くことになるので、そういった部分で意義があるはずです。ミニ腸を量産化してあらゆる評価試験で使われるようになれば、新薬開発のスピードアップにも貢献できると考えています。

田井確かに。「いかに人の生活を豊かにするか」というDNPの想いとも合致する取り組みですね。

松下まだまだニーズ調査も継続している段階ではありますが、数年後には多くの現場で使われるようにしていきたいです。

田井コロナ禍以降、身体や薬のことに対する世界中の人たちの関心が高まったという背景もありますね。

松下今は健康ブームですね。ミニ腸を活用した新薬開発は、健康寿命の延伸にもつながります。そういった意味では社会貢献性も高いと思っています。

田井「人生100年時代」と言われている現在、確かにそうですね!

松下では、もし田井さんが取り組むデジタルアーカイブとミニ腸がコラボするとしたら、どんなことが考えられますか?

田井私たちの部署では、一見難しそうな文化財やアート作品に対して興味を持ってもらうためにデジタル技術を駆使しています。そう考えると、ミニ腸やその他のオルガノイドを材料にして、世の中の人々にいかに興味を持ってもらえるか、という部分でコラボできそうです。

松下それは面白いですね! ミニ腸を理解してもらうことはすごく難しいと感じていますが、深く知ると面白いことがたくさんあります。田井さんがやっているARやVR技術を使って、ミニ腸の魅力をさまざまな角度から伝えられるとうれしいです!

田井今回、バイオの領域だったので、知らない話がたくさんありました。でも、ミニ腸という製品は、豊かな生活をつくるための最先端な取り組みだということがわかりました。また、松下さんも自分と同じく、大学時代からの延長線上で仕事と向き合っている稀有な方。ぜひ、自分の興味のある分野をこのまま突き進んでいただきたいです! 今日はありがとうございました。

松下こちらこそありがとうございました。

2023年2月公開