大乗寺 様

【高精細複製】応挙渾身の傑作 大乗寺客殿 襖絵・壁画 63面

写生派の祖・円山応挙とその弟子一門の作品を余すところなく継承する唯一の寺である高野山真言宗亀居山大乗寺。その客殿にある国指定重要文化財の金碧画「松に孔雀図」「郭子儀図」「山水図」は応挙が最盛期から晩年にかけて自ら手がけた渾身の作品です。その作品と応挙の弟子一門の作品の165面中、計63面の「襖絵と壁画」をデジタル再製画「伝匠美」で制作しました。応挙の空間を荘厳しております。

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孔雀之間 円山応挙筆 「松に孔雀図」

大乗寺とは

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兵庫県美方郡香美町にある高野山真言宗の寺院です。大乗寺は別名応挙寺とも呼ばれ、745年(天平17年)、開基行菩薩が聖観音立像を自ら刻んで本尊とし開創したことが始まりといわれています。大乗寺には写生画の巨匠、円山応挙や息子の応瑞、弟子の呉春、芦雪らが描いた襖絵や壁画が数多く残されており、国の重要文化財に指定されているものだけでも165面もあり、応挙とその一門の作品がここまで一堂に会するところは他にないとされています。

実施概要

原本

伝匠美

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郭子儀之間 円山応挙筆 「郭子儀図」

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山水之間 円山応挙筆 「山水図」

円山応挙(まるやまおうきょ)(1733~1795)とは

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円山応挙(1733-1795)は始め石田幽汀に学び、その後自然の写生に専念したり、西欧の遠近法等の手法を学び、彼独自の新しい画風としての写生画を完成しました。その写生画はあらゆる階層の人々に支持されて、ついに画壇の第一人者となり、円山派の祖として仰がれています。応挙が京都で苦学をしていたところ、当時大乗寺の住職であった密蔵上人が才能を見込んで学資を援助したことが縁で、客殿の建築のときに一門の弟子と共に大乗寺の障壁画を描きました。

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