東京国立博物館 様

【高精細複製】東京国立博物館 応挙館 襖絵・壁画 50面

東京国立博物館学芸員7名のワーキンググループのご指導の下に、写生派の祖・円山応挙の墨の色調・階調・筆勢、さらには画中空間・立体空間などを調査し、応挙館の襖絵・壁画を制作するにあたり、墨画を忠実に再現できる応挙館襖絵・壁画用カラーマネージメントを完成させ制作しました。

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円山応挙と応挙館

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もと尾張国(現在の愛知県海部郡大治町馬島)の天台宗寺院明眼院(みょうげんいん)の書院として、寛保2年(1742)に建てられたものです。同寺は古くから眼病治療をする寺として名声を博していました。障壁画は応挙が治療のお礼に揮毫したものと伝えられています。写生に基づきながら写生を超えた、静かで装飾的な応挙ならではの空間が形成されています。

明眼院にあった書院はその後、明治時代に三井財閥の総帥益田孝(鈍翁1848~1938)が買い取り、御殿山(東京都品川区北品川)の邸内に移築し、茶会などに使用しました。大正8年(1919)には、この建物で重文「佐竹本三十六歌仙絵巻」が切り離され、それぞれの歌仙の絵が別々のコレクターの手に渡った出来事で有名です。その後、昭和8年(1933)に建物は東京国立博物館へ寄贈されました。それ以来、この建物は応挙の絵から「応挙館」と呼ばれることになりました。

実施概要

原本

伝匠美

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書院二之間 円山応挙筆 「芦雁図」

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書院一之間 山本守礼筆 「山水人物図」

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再製方法は、現状をそのまま忠実に再現する「現状再製」に対して、部屋全体、及び画題の作品群の中で、最も保存状態の良好な部分を基準とし、その基準に合わせて、部屋全体、及び画題の作品群を再現する「標準再製」を採用しました。「現状再製」と比較すると当初、応挙が構想したものにより近い再現ができます。

※標準再製は原本に触れることなく、デジタル画像上で行う「バーチャル洗浄」技術で制作します。

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